2022/01/30 11:52


この本を読んで思い出した事を書こうと思います。

この本は、中村好文さんという方の書いた「アーティストのすまいぶり」というもので、有名無名問わず、芸術家たちのアトリエと住まいを紹介しているもの。

その中にちょうど自分の実家のある茨城県常陸太田市に住まれている方のアトリエの紹介が出ていました。

それを読んでいるといつの間にか、小学校の頃のあるエピソードの事に意識が移っていました。

あの頃の自分が今現在の自分へと繋がっているのかと思うと、ここに記してもいいかもと思ってこれを書いています。

そのエピソードというのは、タイトルを付けるならば、「はじめて出会ったアーティスト」とでもしておきましょう。


------

小学5年だか、6年だかの時に、友人お父さんと共に山に入って探検して遊ぼう。

的なイベントが突如企てられ、その計画では、ご飯も山の中で食べるから各自用意してくるように。という事だった。

学校でワイワイ盛り上がって、やるぞやるぞみたいな気持ちで家に帰ると、なぜかその事を親に言えない。

ご飯が必要だから何かしら用意してほしいなり、お小遣いをもらって買っていくなりしたいのに言えない。

メインになるお父さんの子供というのが女の子で、それが理由で伝えるのにもじもじしていたのだろうかと今になると思う。

しかし別にその女の子というのはとびきりかわいいとか自分がその子を好きだったとかそんなことは全くなくて、なのに何故か親に話せない。

そして結局自分の親に何も伝えられないまま、女の子のお父さんが家にやってきた(そのお父さんは髭がたっぷりで、眼鏡をかけていて、イメージ的には、優しくなったエヴァンゲリオンの碇ゲンドウのような感じ)

ウチの親にそのゲンドウさんが事情を話し、僕を連れて行ってくれた。

その時の事を思い返すと、なぜこの子は親に話さなかったのか?お弁当を何も持っていないのか?などいろいろ思っただろうな。など、どんなふうに感じていたのだろう考えるとと複雑な気持ちになる。

そしてゲンドウさんは、車でコンビニに寄って、サザッと食料を買ってくれた。

4.500円くらいかな?と思うけど、そのお金もゲンドウさんが出してくれた。

そして、山付近にあるゲンドウ宅に到着し、既に到着していた男の子達(おそらくここまでなんの障害もなく到着していたであろう)と合流した。

そこからは、山の中で木を切ってちょっとした建物を作ったり、木の棒で格闘したり、昼に買ってもらったカップラーメンにお湯を注いでみんなで食べたりをした。が、あんまり記憶に強く残っていない。

山で遊んだそんなことよりも、話を全く親に通しておらず、昼ごはんの用意もせず、なんだかハッキリ話すでもない少年に対して、

責めたり、多く質問したりはせず、何も問題はないという態度で一日過ごしてくれたことがとても印象に残っている。

そしてそのゲンドウさんの職業というのは陶芸家で、自分の実家にもゲンドウさんとその奥さんの作品達がいくつか置いてある。

子供の頃に見たその陶器の形や模様が頭の中に映像として残っている。

そのゲンドウさんというのが、自分が1番初めに出会った芸術家だったんだなとこの本を読んでいて気づいた。

アトリエの様子はあまり覚えていないが、その周辺の山の感じとちょっと複雑な子供時代の感覚が未だに自分の中に残っている。

少し落ち着いたらアトリエに遊びに行ってみよう。